子ども:話す

さてさて、今回は「語学」についてです。
世の中では、暫く前から語学の重要性が声高に叫ばれていて、
小学校から英語の授業を取り入れたり、英会話教室が流行ったり、
語学の学習について多くの人が見つめ直しをしています。

語学の習得は国際化が進む現代社会では非常に強力な
コミュニケーションツールとなることは疑いようもなく、
可能であれば早いウチからお子様にこの素敵なスキルを
プレゼントしてあげて欲しいものです。

では、そういった素敵な機会を持ったお子様には、
その機会を最大限に活かしきって「語学」を通じて
「考える子ども」に育ってもらいましょう。
さて、本日の「会話」のご紹介です。

まずは語学の意味について考えてみましょう。
ご存知の通り、語学は情報伝達の「手段」であって
「目的」ではありません。
例えるなら、「言語」とはさしずめ「色ペン」です。
赤い文字しか読めない人の為に、赤ペンという道具を得る。
青い文字しか読めない人の為に青ペンという道具を
手に入れると言った具合です。
ということは、黒ペンで書く文字が汚かったり、
良い文章が書けなければ、
当然ながら他のペンで書く内容が
変化するということはありえません。
言い換えれば、日本語でカッコいいこと、
気の利いたことが言えない人は
英語でもカッコいいことは言えない。
人に優しくできない人は、
英語がいくらしゃべれても
人に優しくしてあげることはできないんですよね。

要するに語学は「伝える方法」であって、
伝える内容は「自分自身で考える」必要があるということです。

この様に「外国語」を学ぶということは
「他者(相手)の存在」が前提で、
「他者の言語に合わせる」という行為、
つまり「相手に会わせて自己表現を模索する」
という行為を性質的に内包しています。
しかも、母国語ではとかく我がままになって
自分が言いたいことばかり話してしまいがちな子どもたちにとって、
外国語であるが故に自己表現すら難しい状態を
経験してもらうことができる絶好の機会だということです。
そう考えると語学とは
「完全に相手の存在を想定した会話のトレーニング」
と言う事ができます。

そこで、この機会を利用して「他者」の概念を理解させ、
「相手に分かるように自己表現をする能力」を身につける為に、
習慣にして欲しいことがあります。
それはなんでしょうか。

これを一週間の宿題として今日は筆を置きたいと思います。
今日もご清聴(笑)ありがとうございました。

それでは、明日も良い1日を !

 

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