学生:実験

前回は「なぜ色々な科目を学ぶのか」
という問いに対して、皆様にお考え頂く形で筆を置きました。
今回は僕なりの答えを述べていきたいと思います。

まず最初に挙げられる理由は
「好きになる」為には「知る」必要があるということです。
この機会は意図的に作ってでもあった方が良いと思います。

そもそも知らなければ「好き」も「嫌い」も言えないわけですから。
そういう意味では「仕事」や「お金」などについても
科目レベルで導入して良いのではないでしょうか。
社会と関わる準備が教育の一つの側面であれば、
社会や経済と繋がる扉として「仕事」や「お金」は
必要不可欠ですからね。
この様に「触れる機会があれば好きになる可能性も高くなる」
という点では、多くの科目を学ぶことは
非常に有意義ではないでしょうか。

さて、せっかくなのでもう少し深く考えてみたいと思います。
この問いを紐解くのに、学問の性質について考えてみましょうか。

現在子どもたちがしているお勉強とは、
昔の人が疑問に思ったことについて様々な検証や調査の結果、
発見したことを学ぶことです。
その様にして築いてきた人類の思考と発見を、
次世代にも絶やさず役立たせる為に
「教育」を通じて共有していく作業を行っています。
そして、その教育の際に「学習者」にとって
分かりやすく細分化を施していった結果、
いつしか「科目」という概念が生まれてきました。

つまり、そもそも「科目」という概念があったわけでは無く、
教える側(学ぶ側)の都合により細分化されていったんですね。
「科目」が分かれて、別々のものだと思って学んできたことの
多くは、本質的には繋がっているということなんです。
そうすると、あるものごとについてより深く知りたい場合、
必然的に「科目」として分かれる前の姿を
辿っていく必要が出てきます。

ここに、色々な科目を学ぶ本当の意義があるんですね。
「好きな科目」や「興味がある分野」がある子どもにとって、
このことはより顕著に表れます。
興味をもって突き詰めていけばいくほど、
科目の垣根が取り払われていくからです。

要するに、色々な「科目」を学ぶ理由は
興味を持った科目をより深く理解するのに必要だから
ということになります。

いかがでしたでしょうか。
今回は、多様な科目を学ぶ意義について僕なりの答えを述べました。
皆様のご意見もお待ちしております。

それでは今日も良い1日を!

追伸:
以上の様に考えると「好きな科目がない」場合は、
全く意味を持たないのか?
という疑問も浮かんできます。
これに関しては、少し乱暴ですが意見を補足したいと思います。

勉強だろうがスポーツだろうが、
社会に出たら尚更「それだけやっていればいい」
なんて状況は多くありません。
その側面で言えば「興味を向ける努力」や
「好きになる努力」の練習場所としては
最適なんじゃないかと思っています。
極論を言ってしまえば「嫌いなことでも忍耐して続けてみる」
という根気は養っておいて全く損は無いので、
好きになれないものでも学習していく姿勢を育む
一助になれれば幸いです。

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