私が公教育の「教師になること」を断念した理由

教育大の学生は必ずしも
教育に関心がある学生ばかりではありません。
1次試験の点数が足りず、やむなく教育大にした(*1)
という方もいるからです。
それでも教育実習における「生徒と触れ合い」を経て
教育に目覚め「教師になる!」と気持ちを新たにして
教員を目指すというパターンが少なくありません。

しかし私の場合は逆でした。
中学生くらいから「教師」という職業が念頭にあり、
志望大学も早い時期から「教育大」だったのですが、
一度目(*2)の教育実習で学校の現実を知り、
この段階で教員採用試験は「受験しない」と決めてしまいました。

体罰、過度の管理教育など付属中学校は
いろいろと問題が多いと感じました。
しかし、「おかしい」と思ってもそれを主張することも許されず、
学校側の見解も示されず、教頭など権力のある人に
無条件で従うのみならず、空気を読んで「自主規制」する。
世の中をよくわかっていない頃の判断です。
付属中学校の教師や学校の実態が
日本の教育界の縮図だと大げさに考えてしまったのですね。

そういう矛盾に満ちた「学校」に慣れることが
「教師になる」ということだと感じたのです。
皮肉なことに、そう考えれば、
小学生以来の教師の理不尽な対応も納得がいきます。
現実には、民間の組織の中でも多かれ少なかれ
そのような側面があるのですが、
公教育の「学校」がその傾向が強く、
自分のような人間が教師になったら、
教頭と喧嘩して辞めることになるだろうと考えてしまったのです。

当時、予備校の学生寮で予備校生を世話するアルバイトと
学習塾での受験指導をしていたこともあり、
民間の受験産業の方が魅力的に見えたこともありました。

親も本人も公教育の現場で教師として
活躍することを希望していましたが、
理想の教育など目指すこともできないだろうと
断腸の思いで「断念」しました。

所属していた研究室の担当教授が
「君のような学生にこそ教師になって欲しいのですが・・・」
とおっしゃって下さったのがせめてもの救いでした。
(つづく)

(*1)
国立大学の場合、共通一次試験
(現在の大学入試センター試験に相当)
と各大学が実施する二次試験の点数を合わせて
合格を判断するのが一般的ですが、
一次試験後に志望大学を選択できたので、
点数が芳しくなかった受験生は
第一志望を断念することが少なくないのです。
私のいた宮城教育大学の場合、
東北大学を断念した受験生が少なからず入学してきます。

(*2)
当時の私の大学の場合、教育実習は「基礎」と「応用」の
2回行くことになっていました。

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