暴力をふるう大人

中学時代は、真面目に道徳的に生活しようとしても
「お堅い、偽善」などとみなされるし、
試験の順位で上位につけると、
そんなに勉強してなくても「ガリ勉=性格が悪い」
などという先入観をもたれたものです。

また、大人は道徳に生きることを要求しましたが、
教師達は本当に些細なことで(*)
頻繁に生徒を殴っていました。
身近に立派な大人のモデルが少ないため、
「大人になったら道徳的に生きなくても良いのか」
とさえ思ったものです。

そういう環境の中で生き抜くには、
勉強をしている姿は見せないようにし、
スポーツなどに懸命取り組み、友達付き合いはするが、
道徳的な一線は越えないようにしつつも
「教師」を彷彿させるような道徳的言動は控えるという、
大変ストレスフルなものでした。

でも結局は背が高い、二枚目、スポーツ万能、
コミュニケーション能力が高いなどの
要件を備えた人の方が人気者で、
私などはからっきしダメなタイプでした。

高校生になるとさらに新たな要素が増えます。
中学時代にある程度勉強ができても、
学力別に振り分けられて高校に進めば、
自分より勉強のできる人は
いくらでもいるという現実に直面します。

また、高校が進学校だったこともあり、
今度は「勉強ができる」ということが
高い評価を得るようになります。

極端に言えば、陰でずるいことをやっている人でも
「勉強ができる」と相殺される面がありました。

また、だからといって、
全ての教科に実直に取り組むのも問題があります。
現役で難関国立大に合格した、
勉強のできる友人に質問をした時の
「いいから覚えればいいんだよ」という返答に、
「成績の良い人でも納得せずに高得点をとっているのか」
と仰天したことがあります。

つまり今度は「要領の良さ」なども大切になってくるのです。

中学から高校にかけて、
「勉強ができること」「道徳的に真面目に生きること」
「周りの評価」などの関係が複雑で、
どう生きたら良いのか、
さっぱり分からなくなっていたように思います。

(*)
数学教師が女子を激しく叱責している場面に遭遇し、
あまりにもひどい叱責だったので、
「まあ、まあ先生そんなにどならなくても・・・。」
と止めに入っただけで、
問答無用でビンタをくらったことがあります。
「先生、止めに入ったのが大人でも殴るんですか?」

 

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”