辞書と眼鏡

中学・高校時代は、
学習内容に対する疑問がたくさん沸いたにも関わらず、
うまく表現できず、解決にも至らず、
徐々に「自分自身がおかしいのでは」
という思いを強めた6年間でした。

結局、成績も振るわず、現役合格できず、
浪人することになりました。

当時の「浪人」というのは大変暗い印象で
「様々な物を我慢し、世間とは隔絶された環境下で
1年間耐え忍び合格を勝ち取る」というとイメージでした。

それまでは納得の無いまま暗記したりするのを拒否していましたが、
もうそんなことは言ってはいられない、浪人した以上、
「真理の探究」は大学にいってからだと自己の疑問を封印し、
納得できなくても無味乾燥な暗記作業に耐える
覚悟をしていました。

そんなつもりだったのですが予備校の授業に出て衝撃を受けました。
特に、数年後にYゼミの看板講師になるO先生の授業は、
自分が長い間、疑問に感じていたことに
次々と答えてくれるではありませんか・・・。

「aは相手に具体的なイメージを抱かせる冠詞。
ただし、それぞれ勝手にイメージしています。
It’s a sony と言われると
各人がそれぞれのソニー製品をイメージします。」

「the は『お互いに分かっていること』。
the sun と言われて『どの太陽?』とは言いません。
ちょっと黒板見てくれる?
今、黒板見たでしょ。
だから the blackboard。」

「go to school に the をつけてもいいけど意味が変わるだけ。」

「must と have to は「~しなければならない」ですが、
have to は『せざるを得ない』というニュアンス。
乗ろうとしたバスに乗り遅れて、
次のバスで行かなければならないというケースは have to。」

などなど・・・。

今までの6年間は何だったのか・・・。
と思わせてくれる授業であり、
私にとっては「救い」でもありました。

毎回の授業の90分間があっという間に過ぎ去り、
チャイムが恨めしいと思うくらい楽しい時間を堪能しました。

予備校の凄さを痛感した1年でしたが、
この段階では講師になろうともなれるとも思っていませんでした。
(つづく)

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”