学生:本を読む

塾生に向けたコラムより②

受験日が近づき、受験生自身が本格的に
「受験」の現実味を肌で感じ始める季節になって参りました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

前回から、「なぜ勉強をするのか」という問いについて、
僕が「生徒に送っているコラム」を転載させて頂いております。
そんなことは良いから他のこと書け!と仰るならば、
すぐに原稿をしたためますが、お楽しみ頂いていますでしょうか。

今回と、次回の二回で完結致しますので、
もう少々お付き合い下れば幸いです。
それでは、引き続きお楽しみ下さい。

–以下、本文転載—-

どうも。
りゅうです。

コラムを書くとついつい筆が走ってしまい、
長くなってしまいますね。
まぁ、いつものご愛嬌ということで、今回も僕のコラムです。
また、お前かと言う声が聞こえてきそうですが、
もう少々お付き合い下さい。

前回は僕が、教鞭を振るう理由、みんなに勉強してもらう
理由の一つ目について書きました。
今回はその二つ目のご紹介です。

勉強をすることで得られる力で最も大きな力は、
興味や関心の扉を自ら開き、自分の足で好奇心の旅をする力です。
これは勉強をする上で非常に大きな推進力になるんですが、
最終的に何の為にこの力を使うのか。

当然、それは人それぞれ。
君たちの努力で得た力ですから好きに使って下さって結構です。
(キュリアスに通っている君たちであれば、
少なくとも人を傷つける為に使うことはありえないので、
本当に自由に使って下さい。)

ただ、いつか、その力を君たちの人生で使うときが来たら、
こんな風に使って欲しいなぁ、
という僕なりの見解を述べさせて下さい。

さて、どんな風にって?
興味と関心の扉っていうのは、
自分とそれ以外の人や物事を繋ぐ扉なんだよ。
つまり、その力は自分以外を理解して影響することが
できる力なんだ。

だからこそ、色々な人に出会って、
あらゆる立場に立って物事を考えられるようになって欲しいんです。
人間ですから常に聖人君子の様には生きられるわけではありません。
僕なんか最たる例で、ご存知の様にダメなところだらけで、
それこそ日々勉強です(笑)。
それでもなお、人や物事、社会をあらゆる角度から見つめて、
思いやりを持って、理解していく為に培った力を
使う努力をして欲しい。
そんな風に思っています。

勘違いしないで欲しいのは、全てに賛成し、迎合し受け入れろ、
と言ってるワケでは無いですよ。
君たちには君たちそれぞれ、立場や考え方がある。
それは大いに貫けばいい。

そこで、もし違う考え方や立場の人がいたら、君たちと同じように、
そういう人も存在するということを理解して、
自分なりに考えてくれたらいいかなって、
そんなことを思ってるわけです。
それが少し大きくなって社会のこととか考えて、
君たちが動き出して何かが良い方向に変わり始めたら、
僕は真っ先にサインを貰いにいきますよ!
そのときはイヤでも快くサインを書くのが大人の対応です(笑)。

またまた長くなりましたが、今回も続きます。
次回で最後なので、もう暫く会わなくて済みますよ(笑)

それでは、またお会いしましょう!

——転載ここまで——

学問って深いです。
本当に、それはもう。

そして、勉強も楽しいことばかりではありません。
しかし、努力した先に得た「何か」は言葉一つで
言い表せるものではないほど、生きる上での糧になります。
皆様のお子様に、その「何か」を伝える一助になれば
これ以上の幸せはありません。

次回で、転載コラム編は終了です。

三つ目の僕の意見が本当の意味での僕の本音です
(全部、本音なんですけど)。
最後のコラムは、お子様だけでなく、
このコラムを読んで下さっている皆様に少しでも伝われば、
本当に嬉しいです。
それでは、次回もお付き合い下さい。

では、明日も良い1日を!

 

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