滑走路:夕日

「私は将来文系に進むから数学は必要ない」
と子どもに言われた時、どんな話をしたら良いでしょう。
なかなか難しいですね。
「もしかしたら本当に必要ないんじゃないのか?」
と大人の側も考えてしまいそうです。

作家の鈴木光司さんは、
「勉強というものは、インプットとしての理解と
アウトプットとしての表現、その間をつなぐ想像、この三つの訓練」
だと述べています。
そして総合的にはリテラシー能力(読み書きの能力)
をつけるためだとしています。

なるほど、個々の人生を勘案して、
それぞれの教科・科目の意義を問いだしたら、
「私は文系に進むから数学はいらない」とか
「私は理系に進むから歴史はいらない」
という言い方にもそれなりに正当性があるような気がします。

しかし、それぞれの教科・科目で勉強する「内容」を
身につけることよりも、勉強という「作業」を通じて、
「読解・理解(インプット)-→思考・想像-
→表現(アウトプット)」の能力などを訓練することが
大切なのだと考えればどうなるでしょう。

歴史学者になる予定のA君が「物理」をやることの意義も、
医者をめざすB君が「歴史」を学ぶことの意義も、
経済学者を考えているC君が「数学」を学習する意義も、
野球選手になりたいD君が「国語」を勉強する意義も
見えてくるわけです。

鈴木光司さんも「国語・数学・理科・社会と
いろいろな科目を学ぶことで、さまざまな角度から
多面的にこれらの能力を磨いていく作業が学校の勉強なのです」
と述べています。
多面的に訓練すれば、リテラシーをより高いレベルに
鍛え上げることができるでしょう。

その上で、将来、やりたいこと、やるべきことがはっきりした時、
それに必要な教科・科目の内容を「深めれば」良いということになりますよね。
こう考えれば、一見自分の将来に無関係に見える教科・科目を
勉強する意味も見えてきます。
ここでも、勉強の「内容」はさておき、
まずは勉強するという「行為」が大切なようですね。

参考:
鈴木光司 『なぜ勉強するのか?』ソフトバンク新書(2006年)

 

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”