図書室で勉強する女の子

「学ぶ」ためには「正しい」情報の入手が大前提となります。
ところが、この「正しい」が簡単なことではないのです。
高校までは教科書の記述を
「とりあえず正しい」ものとみなして学びますが、
その正しさは絶対的なものではありません。
私は日本史の担当なので歴史という教科で考えてみましょう。

歴史は無数の出来事の集合体です。
その中から歴史学者が重要な出来事を選び出し、
関連づけ、意味づけて解釈・叙述した結果が歴史像です。
教科書に記載されているのは、歴史そのものではなく歴史像です。
さらに多数派の歴史像(=通説)に過ぎません。

しかしある時、多数派が「誤り」とされ
通説が変更されることもあるのです。
例えば群馬県岩宿遺跡。
打製石器を伴うこの旧石器時代の遺跡は戦後に発見されますが、
それを契機に「日本列島には1万年前より以前には
人類が生活していなかった」という戦前の
「通説」が変更されたのです。

また、時代の問題意識や視点の変化により
歴史像が変わることもあります。
例えば公害が社会問題になると、
明治時代に公害問題に取り組んだ
田中正造が評価されるようになったりします。
また、戦前のある時期、皇国史観という天皇を中心とする
歴史観が力を持っていましたが、その視点では、
人物評価は天皇に対する忠義度に左右されます。
後白河法皇を幽閉した平清盛などは大悪党と見なされ、
彼の業績も低く見られていました。
ところが、昨今、グローバル経済という視点で見ると、
日宋貿易を進めようとした平清盛は先駆者だと
高く評価されるようになってきています。
(歴史像の変化は「大河ドラマ」による描き方を
左右することもあります(笑))

このように「教科書」に書かれていることすら
「とりあえず正しい」に過ぎす、
正しいものがいつか誤りになる可能性を孕みます。
まして特定の「教科書」など存在しない大学生や社会人にとって、
「正しい」情報を入手するのは
大変困難であると言わざるを得ません。
(続く)

 

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”