新聞を読む夫婦

理科の話から論理へと一旦飛躍しましたが、ここで話を理科に戻しましょう。
前回の論理の話で、論理の影の功労者が「ワラント」であるとお話ししました。
そして、理科の話をし始める際に、僕は理科をこう定義づけました。

理科とは「仮説を立て、それを検証する力の礎」となる科目だと。

理科という科目を更に細分化し、高度にしていくと様々な分野の理系の研究に辿り着きます。
その研究では何をやっているのか?

そう。
実は自然を論証する為のワラントを一生懸命作っているのです。
絶対的でないからこそ、確からしさを高める為に。

だからこそ、科学的に一時証明されたとあっても、ある発見により180度覆されることがあるのです。
ワラントが崩れれば、そのワラントを利用した論理展開の「確からしさ」は失われてしまうからです。

こう考えると科学だからと言って何ら絶対的なものとは言えませんよね。
教科書も新聞も学会の研究も、全ては仮説で成り立っているんです。
そして、その仮説を情報や知識として取り入れている我々の思考も曖昧模糊な仮説の塊です。

もう何も信じられないですって?
だからこそ考えるんじゃないですか!

世の中が情報で成立している以上、「思考」と「試行」を続けることって人生の最大の娯楽ではないでしょうか?
今日で科目シリーズを終わりますが、「勉強」や「学問」に対する考え方で何か少しでも提供できていれば幸いです。

最後に僕の学問に対する信条を・・・

「絶対なんてものは絶対に無い(笑)」

それでは今日も良い一日を!

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