歴史を「ざっくり」と「一気に」貫くという主旨で始めた番外編も
もう5回。
そろそろ前回の復習が要らなくなってくる頃でしょうか。
通読して下さってる方には申し訳無いですが、
今日も復習からお付き合い下さい。
今日はちょっとお固く書いてみます。
面倒なら飛ばして下さい(笑)
狩猟や採集を中心として移住生活を行っていた縄文時代から、
農耕中心の定住生活を始めた弥生時代。
定住し始めると隣の芝が青く見えるんですね。
肥沃な土地を求めて争いが始まります。
勝者と敗者に分かれる事で貧富差、
身分差が生じるのもこの時代です。
人間はこんなに前から戦争ばっかりしてるんですね。
戦争をすると勝ち続けた国は大きくなって
古墳という大きなお墓を作ることで権威を示します。
古墳時代ですね。
ここでできた「ヤマト政権」がいつしか
「大和朝廷」と呼ばれる様になります。
「大王」も呼び名が「天皇」に変わっていくのもこの頃です。
その後、飛鳥時代に突入します。
ある程度大きくなった「大和朝廷」は
外交でも発言権が得たくなります。
そこで当時の中心地である中国の文化を取り入れるんですね。
ここで派遣されたのが「遣隋使」です。
そう、小野妹子さん。あ、男の子ですよ。
この時代は、権力を巡って「乙巳の変」「壬申の乱」
などの大きな内乱が起きています。
大きくなった権力が様々な不安要素を残したまま
次の時代に突入します。
奈良時代ですね。
奈良時代では律令という厳しい規則が定められるので、
リーダーによって政治が揺れることもなく安定してきます。
そして、仏教中心の文化を作った為に
後半では僧侶の権力が大きくなっていきます。
あまりに政治に口を出してくるので、
天皇は貴族を連れて奈良から家出しちゃうわけですね。
ここから今回の話。
平安時代ですね。794年~1192年。
奈良時代に仏教中心にしようとしたら、
坊さんが政治に介入するようになってきてしまったんです。
そこで貴族が言うんですね。
「帝(みかど=天皇)、奈良やめて京都にしません?
鹿も多いですし。」
そうすりゃ坊主も口が出せないだろう。
ということで、京都に移したんです。
そこで、今度は天皇と貴族とのタッグが完成。
この時代は貴族の華やかさがクローズアップされる時代です。
じゃあ、なんで終わったのか。
平安中期〜末期。天皇の権力に
今度は貴族が介入するようになったんです。
しかも、貴族の介入に嫌気がさした天皇が
天皇をやめて上皇(元天皇で勝手に隠居した人)
という立場を勝手に作っちゃうんですね。
そうすれば、天皇でもないから責任も無いし、貴族も関係無い。
でも天皇より偉い役職だから天皇にも指図できる、
という都合の良い役職です。
天皇は上皇と貴族の板挟みが嫌になって
「警備会社」に助けてもらうようお願いする。
それが次の時代のヒーロー。そう武士ですね。
平安時代 (貴族と天皇中心の文化)
下記が出てたら「平安時代」っぽいと思って下さい。
(1)平安京
(2)藤原氏の摂関政治
(3)和歌など日本文化が急激に流行る。
(4)貴族がとにかく調子に乗りまくる時代。
次回は、中世です。
今日も良い1日を!
【関連記事】
歴史を効率的に学ぶ方法(1)
歴史を効率的に学ぶ方法(2)
歴史を効率的に学ぶ方法(3)
歴史を効率的に学ぶ方法(4)
歴史を効率的に学ぶ方法(5)
歴史を効率的に学ぶ方法(6)
歴史を効率的に学ぶ方法(7)
歴史を効率的に学ぶ方法(8)
歴史を効率的に学ぶ方法(9)
歴史を効率的に学ぶ方法(10)
カテゴリーや各種特集ページからお越しの方は、ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください。