学びの上で情報源の多様化も重要な課題です。
昨今はテレビ、新聞、書籍、雑誌などに加えインターネットを通じて情報を入手できるようになりました。
ネット情報はよく「玉石混淆」などと言われ「吟味の必要性」が語られます。
しかし、既存の情報源も程度の違いこそあれ同様のことが言えます。
吟味の必要性というのは「下らない情報だから」「ウソだから」という理由だけではありません。
それぞれ情報源にとっての「正しさ」があるという面にも着目する必要があります。
例えば、テレビ局や新聞社などの経営は広告収入に依存する部分が大きいので、スポンサーにとって不都合な情報は流しにくいという特性があります。
ウソとまでいかなくても、スポンサーにとって都合の良い部分が強調され、都合の悪い部分は語られないことが多いのです。
しかし「経営」という観点からはそれが「正しい」とも言えます。
また、新聞社やテレビ局にはそれぞれの考え方の基調があるので同じ問題でも、スタンスの違い、それによる結論・論拠の違いが浮き彫りになることがあります。
原発再稼働問題などを考えると新聞社のスタンスの違いが分かりますよね。
さらに「いかなる生き方・社会を追求すべきか」という「哲学」の違いなども情報発信の在り方に影響してきます。
原発問題では「リスクとベネフィット(便益)の関係」について、生活保護問題では「自助と公助のバランス」、増税問題では「労働意欲と再分配」などをめぐる哲学の違いが浮き彫りになります。
例えば増税問題で「富裕層に対する課税強化をすれば、労働意欲を低下させる」と考える立場では「フランスから富裕層が海外に脱出」というニュースを繰り返し報道することになります。
どれが「正しい」と簡単に言えることではありません。
異なる情報を比較し、自分自身で考え選択せねばなりません。
考えるのは大変ですが、特定の情報源に依存すると考え方の偏り、思考停止の危険性が生じます。(続く)
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