子ども:草原

★内田樹氏は著書の中で、刻一刻と変化していく子どもを、
親が「訳のわからないもの」として「拒絶」するのでは無く、
むしろそのような存在を「にこやかに許容する」ことの重要さを
説き、その逆になっている現状を危険視しています。

「母親が子どもに対して「訳のわかる存在であること」を要求し、
母親自身の価値観や生き方を承認し、
確証する役割を子どもに求めるのって、本末転倒じゃないですか。
親が子どもを承認するんじゃなくて、子どもに親が承認してもらう。
ペットブームもちょっとこれに似ているかなと思うんです。
自分の意思のままになるものなら「かわいい」けれど、
訳のわかんないものは「かわいくない」。
それが逆にならないといけないのに。
犬も子供も、親の自己承認のために
道具的に利用されているような気がするんですけど。」
(内田樹 名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』新潮新書(2005))

★何も言わずにニコニコしている赤ちゃんはかわいいけれど、
夜泣きをしたり、勝手に動き回ったり、
うるさくおしゃべりしたりするのは疎ましいと思うのであれば
親子関係は危ういものになっていくでしょう。
そして「訳の分からないこと」の反対側にある
「訳の分かること=勉強やスポーツの成績など」だけで
子どもを把握しようとすると、それ以外の部分が見えなくなります。
結果、子どもが弱ったり、苦しんでいたりする時に発している
「シグナル」を見落とすことになるのです。

そもそも子どもが完全の親の想定内の存在であるなら、
社会は単純再生産か縮小再生産に向かい、
発展することは無くなります。
なぜなら、新しい時代を作るアイデアや発明は
前の時代の人の想定を越えるものだからです。

子どもとは親にとってそもそも「訳の分からない存在なのだ」
と開き直り、その「訳の分からなさ」を宝物探しのように楽しみ、
「なるほどね」と感心し、想定外の行動から親が学ぶくらいの
姿勢で臨んだ方が良いのだと思います。

 

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