時折テレビで注目されることもあり、それぞれの時代毎に
ステレオタイプの「予備校講師」像が
繰り返し生み出されるような印象を受けます。
私も予備校講師の一人ではありますが、学生運動経験者でも、
金ピカ先生でも、カリスマ講師でも、
ましてや「時代の流行語を作るような予備校講師」などではありません。
どちらかというと、「予備校は教育機関であるべきだ」という
泥臭いことを言って、学校側からは煙たがられ、
周りの講師からも少し浮いている予備校講師です。
もしかしたら「本気で教育を考えるなら『学校の先生』に
なるべきだったのではないか」と
お叱りを受けそうな妙な予備校講師かも知れません。
なぜ、「学校の先生」ではなく、予備校講師になってしまったのか。
そんなお話をしてまいります。
少し長いお話ですがお付き合い下さい。
地方に共通した話だと想像しますが、
少なくとも私が小学生や中学生のころの秋田県では、
「お勉強」ができる子は地域の進学校に進んで、
地元の国立大学に入って、
学校の先生になって地元で活躍することが
求められていたように思います。
当時は大学進学率も今ほど高くなく、
さらに地方には子どもでも分かるような、
「大卒がなる仕事」があまり無かったことも
その類の空気が醸成される原因だったかも知れません。
もっとも、もの凄く優秀な子どもは政治家、役人、医者などになることを
期待されたのかも知れませんが、
残念ながら対象外だったので、
学校の先生以外を期待する「空気」を感じたことはありませんでした(笑)
さらに、叔父さんや叔母さんに
学校の先生が何人もいたことも影響してか、
中学生の頃までには何となく
「地域の進学校に進んで、秋田大学の教育学部に入って、地元で学校の先生」
というルートが期待されているような気がしていましたし、
そのことに強く反発することもなく、
むしろ、「そういうものなのかな」という程度に受け止めて、
その方向に歩んでいたような気がします。(続く)
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