漠然と「先生になる」と思っていた私には、
そもそも「先生」の資質はあったのでしょうか。
子どもの頃の自分を思い出してその特徴を整理してみました。
まず、世界に対して強く関心を持ち、
疑問を覚え、考え、答えを探していました。
「鏡に写る姿は左右が逆になるのに、
なぜ上下は逆にならないのだろうか」
「冷たい飲み物を入れたコップの外側が濡れるのは
小さな穴があいているからだろうか」
などと科学的な疑問が次々沸いてきました。
「バスの中でボールを放ったら後ろの人に当たるのでは無いか?」
と考えてボールを握りしめながら
実験すべきか否か逡巡したりしていました(笑)
さらに、「何故何も無いのに0と書くのか」
『「○○がある」と「○○が無い」では
どちらの方が証明しやすいか』
などということも小学生の頃から考えていました。
また、勉強でもスポーツでも
物事をとことんやらないと気が済まない子どもでした。
負けず嫌いだったのでしょう。
小学校の図工では授業時間内では納得できる作品ができず、
放課後に居残りで作業を続け、通信簿に
「時間内に終わらせましょう」と書かれました(笑)
さらに、父親に叱られた時などでも
「納得できる説明があるまでは自分の主張を曲げない」
幼稚園児だったそうです。
その一方で納得できれば素直に「自分から頭を差し出す*1」
子どもだったと母親が教えてくれました。
さらに、父親が厳格さ、通ったキリスト幼稚園の影響もあってか、
道徳とか社会正義に対してはとても敏感だったように思います。
卑怯な振る舞いとか、人の道に反する行動には強く反発しました。
小学校1年生の国語の教科書で「小さい白いにわとり*2」を
読んだ後に、豚や猫や犬の振る舞いに
強く憤っていたことを覚えております。
『教科書の文章で「激昂」している小学1年生の図』
というのもおかしなものです。
さて、こんな性格の子どもがその後、「学校」「先生」
という現実と悪戦苦闘を続けることになります。(続く)
(*1)
当時の叱り方は「げんこつ」でしたから、
自分が悪いと認めた場合は頭を差し出すのです。
(*2)
もともとはウクライナ民謡だそうです。
「小さい白いにわとりがこの麦誰が蒔きますか?」から始まり、
豚・猫・犬はずっと「いやだ」と言い続けるので、
にわとりは一人で麦を蒔き、苅り、粉に挽き、パンを焼きます。
最後に「このパン誰が食べますか」という問いに
豚・猫・犬が「食べる」と言う物語です。
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