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学歴社会の歴史を振り返ってみると、
学歴社会の成立当時は「学歴」は
付与される絶対数の少ない
稀有な資格であったことが分かりました。

そういう意味で成立当時の社会においては、
企業が欲しがる人物を、専門性を有し、
ある種「特別」な存在の中に見出すことについて
納得はしやすいと思います
(それでも、就職後のその人物の市場価値を
学歴が担保しきれるとは思いませんが)。

しかし、現代社会を考えると、全く勝手が違ってきます。
当時の「学歴」は一部の人間にしか与えられない
資格だったものに対して、
現在の「学歴」は非常に一般的で、
専門性は相対的に薄らいでしまったからです。
難関と言われる有名な大学も例外ではありません。
入学者は成立当時と比べて圧倒的に増え、
いわゆる名門と呼ばれる学校の絶対数も増えています。

それでも企業が「学歴」を
選考基準に設け続ける理由はなんでしょうか。
考えてみましょう。

まず考えられるのは「手続き上の理由」でしょう。
現代は昔に比べ、企業の数も増え、
当然ながら大企業の数も増加しました。
一概には言えませんが、
多くの大企業は規模の拡大に成功している分、
資本が集中していて経済的に安定しています。
そういう意味では収入を増やすチャンスの一つとして、
就職志望者が集まりやすくなりますね
(これについては、他の理由を別に後述します)。

要するに一つの企業に多くの志望者が押し掛けるわけです。
これを一人一人、人事が相手をしているのは事実上不可能です。
最近、ある企業が就職活動の期間を
大幅に増やしたことで話題になりましたが、
基本的に新卒の就職活動の期間は限られています。
それは志望者にも人事にも同じことです。
そういう意味では、
昔から続いている習慣を引き継いでしまったものが、
たまたま現在の事務的な理由に適合していると
考えてよいのかもしれません。

とはいえ、そもそも「学歴社会」が成立することで、
「学歴」による志望者の選定を目の当たりにした志望者が、
同じくそれを目の当たりにし、
ビジネスへと展開できると考えた学校サイドの目論見に
はまったのか、自ら飛び込んだのか分かりませんが、
「有資格者」が急激に増えたことで
「事務手続き」が膨大になってしまっただけの話なのですが。
そう考えたら少々皮肉なものですね(笑)。

ここで「学歴社会」の理由の一つが分かったと思います。

企業サイドで見た理由が「企業の事務的な都合」だった
という見方ができるというお話です。
しかし、都合を優先するだけでは
経営は上手く廻らないはずです。
企業の望む人材が手に入らなければ、
会社の運営に支障をきたすのは言うまでもないからです。

このことにスポットを当て、
次回は「なぜ学歴選考はなくならないのか」
を考えていきたいと思います。

それでは良い1日を!

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