携帯:手元

本日も歯医者さんで、
子どもを無視して携帯電話に夢中のお母さんに
遭遇してしまいました。

何かしら急いで連絡せねばならぬ事情もおありかも知れませんね。
でも、お子様が一生懸命アピールしていましたよ。
何とか時間をやり繰りして、子どもの様子を見てあげて欲しいです。

「聞いて、聞いて!」「見て、見て!」
と子どもは一生懸命にアピールします。
何かができた、発見できたという喜びを共有したいという
思いからだと思いますが、同時に親の自分への
「関心=愛情」を確認しているのだと思います。
親御さんが気の利いた言葉を発することができなくても
構わないと思います。

子どもの言葉に「耳を傾け」、
子どもの行動を「見つめる」
という親御さんの反応は子どもにとって何よりの
「宝=安心」なのだと思います。

うまく滑り台を滑りおり、「できたよ、できたよ」
と訴える子どもに対して、母親が携帯を見ながら
「ハイハイ」と反応した時の子どもの寂しそうな様子が
忘れられません・・・。

「中学生くらいになると子どもは親の言うことなんて聞かなくなる」
とおっしゃる方がいます。
もしかしたらそれは事実かも知れません。
でも、もし子ども達にものすごい記憶力があって、
言語能力があったらどうなるだろうかと想像してみました。

「も~お前は、何回言ったらわかるの、
ちゃんと言うこと聞きなさい!
それにちゃんとお母さんの顔を見て聞きなさい!」

「今さら何を言っているのお母さん。
だって、お母さん、僕が1歳半の時、歯医者さんで「滑り台できた」
ってアピールした時に携帯見ながら、僕の方を見ないで、
適当に返事したでしょ!僕覚えているよ・・・」

実際はそんな記憶は無いでしょう、言葉にもできないでしょう。
でも、大切な何かを置き忘れているような気がしてなりません。

鷲田清一先生が著書(*)
の中で次のように述べていたことを思い出しました。

「〈聴く〉というのは、なにもしないで耳を傾けるという
単純に受動的な行為なのではない。
それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、
たしかな出来事である。」

「聴く」「見つめる」という行為の大切さを
今一度考えてみたいものです。

(*)
鷲田清一『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』阪急コミュニケーションズ(1999年)

 

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