こちらのコラムを含め4回に渡って国語について触れて参りましたが、
今回で完結です。
国語が全ての学問の礎となりうる理由について
最後に述べたい点は「国語は多くの文献に触れる科目である」
という点です。
国語はその性質上、「読む」ことで学習が進んでいきます。
その過程の中で様々な人の意見や、様々な物語、
様々な表現に触れていきます。
実は、この様な学習の連続が気づかないうちに
知性の源泉となっていくのです。
一般の小学校の授業では残念ながら
教科書に掲載されているお話を読むだけで終わってしまうケースが
殆どですが、多くの学習塾や一部の私立小学校
(場合によっては幼稚園でも)では、
問題を解く際に膨大な量の文献を読んでいきます。
多くの場合は受験対策としてそういう問題集に取り組むのですが、
受験問題では厳選された非常に良質で興味深い文章が出題されます。
従って、結果的にその対策となる問題集に掲載される文献も
大抵の場合は非常に良質な題材が多いのです。
ここで僕のいう良質という意味は、
次の学問への扉を開くという点で非常に意義があるという意味です。
つまり、小中学生が国語の問題に取り組む過程では、
出版社や各学校の先生が読んで欲しい文献と情報に
さらされることになります。
この過程を体験した子とそうでない子では、
必然的に知識量に大きな差が開いてしまうことは否めません。
子どもに読書を進める本当の理由も
実はこういった情報量を増やすという意味があるんですね。
これが僕が国語を重要視する最後の理由です。
2週間にわたり、国語について熱く語ってしまいましたが、
ご意見、ご感想、ご質問あれば随時対応させて頂きたいと
思ってますので、編集部宛にお気軽にご連絡下さい。
それでは今日も良い1日を!!
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