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予備校講師誕生物語(3)|幼稚園児の疑問

予備校講師誕生物語(3)|幼稚園児の疑問

幼稚園の教室の壁に50音表が貼ってありました。 「あひる」「いぬ」「うさぎ」などの 絵・名前とともに50音が示されています。 それを順に読んでいった私は、 最後が「きりん」になっていることに疑問を覚えました。 他の言葉は [...]
予備校講師誕生物語(2)| 「先生」の資質

予備校講師誕生物語(2)| 「先生」の資質

漠然と「先生になる」と思っていた私には、 そもそも「先生」の資質はあったのでしょうか。 子どもの頃の自分を思い出してその特徴を整理してみました。 まず、世界に対して強く関心を持ち、 疑問を覚え、考え、答えを探していました [...]
予備校講師誕生物語(1)| 地方の空気

予備校講師誕生物語(1)| 地方の空気

時折テレビで注目されることもあり、それぞれの時代毎に ステレオタイプの「予備校講師」像が 繰り返し生み出されるような印象を受けます。 私も予備校講師の一人ではありますが、学生運動経験者でも、 金ピカ先生でも、カリスマ講師 [...]
教育について考える(14)| インストラクターと先生

教育について考える(14)| インストラクターと先生

作家の鈴木光司氏は 『子どもに「なぜ勉強をしなければいけないの?」 と訊かれたら、親は「社会をよりよくするためだ」と自信をもって 答えなければいけません」』と語っています。(*1) 全く同感です。 人間が社会的動物である [...]
教育について考える(13)| 学ぶことと人生

教育について考える(13)| 学ぶことと人生

子どもの頃から、人間は何のために「学び続ける」のかを問い続けてきました。 「大学入試や就職試験のため」などでは終わらない 「学び続ける」ことの意味です。 仏教の修行になぞらえて考えてみましたが、 結局のところ「学び続ける [...]
教育について考える(12)| 何を学び続けるか

教育について考える(12)| 何を学び続けるか

生涯学習を続けると言っても、一体何を学べば良いのでしょうか。 大学入試、資格試験、昇進試験などは一定のカリキュラムや対象があります。 技を極めようとする職人さん、 生涯の研究テーマが見つかった研究者などであれば別ですが、 [...]
教育について考える(11)| 悟りとアハ体験

教育について考える(11)| 悟りとアハ体験

福岡伸一氏のアイデアを援用し「知の動的平衡」という概念で 「学習」のイメージを作ることで、 継続することの大切さは想像できたのですが、 次に道元におけるもう一つの疑問、 「修行をしている最中こそ悟りを体得できる」と 「学 [...]
教育について考える(10)| 知の動的平衡

教育について考える(10)| 知の動的平衡

生物学者である福岡伸一氏は、生体を構成している分子が高速で分解され、 摂取した分子と置き換わる状態を「動的平衡」という言葉で表現しました。 つまり「更新」されつつ、それでいて「一定の状態」を保つ「流れ」のような 生命の在 [...]
教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

道元は日常の全てが修行だとしますが、 中でも坐禅を最高の修行として、ただひたすら坐禅することを説きます。(*1) そして、修行の結果として悟り(証)に達するのでは無く、 修行(坐禅)そのものが悟りであると考えたのです。( [...]
教育について考える(8)| 実践性の回復 道元 その1

教育について考える(8)| 実践性の回復 道元 その1

鎌倉時代に広まった禅宗としては、 栄西が開いた臨済宗と道元が開いた曹洞宗が有名です。 どちらも坐禅という修行を行いますが、臨済宗が「公案=こうあん」という 師から与えられる問題(*1)を一つ一つ解決して 悟りに達しようと [...]
教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

鎌倉時代、「念仏」を唱えれば 極楽浄土に生まれ変わることができるとしたのは 法然・親鸞・一遍です(*1)が、今回は親鸞(しんらん)に注目します。 親鸞の師である法然は「ただひたすら念仏を唱える(*2)だけで 極楽浄土に行 [...]
教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

お釈迦様の時代の仏教は、 一部の出家修行者が厳しい修行を経た後に悟りを開くというものでした。 その後、大乗仏教の登場により、 より多くの人に悟りの可能性が生まれました。 仏教が日本に入ってきた後 「悟りを開くための能力に [...]