国語、算数と続いて。
科目シリーズの第三弾。
「社会」をお送りしております。
前回は総論として「社会(という科目)は
未来を想像(創造)する為の礎である」と定義付けました。
今回は、社会という科目の持つ特徴の一つである
一、 社会とは歴史を学ぶ学問である
という側面から「社会が未来を想像(創造)する」
という定義にどう結びつくのか、説明していきたいと思います。
まず、歴史を学ぶ意義について考えてみましょう。
「楽しいから」と言うのが一番の理由ではありますが、
僕はそこには二つの大きな意味が存在すると思っています。
まずは1つ目、「過去から学ぶ」。
過去を振り返ることで、先人達の知恵や知識、成功やはたまた
失敗まで「歴史が動く瞬間」と「その後の変化」について
知る事ができるのです。
当然ながら、これは今後の我々の方向性を
決定づける大きな事例となります。
過去の失敗、成功を学ぶということは
「未来を想像するためのパズルのピースを増やす」
ということになるんですね。
そして、やはり、ここでオススメしたいのは、
ただ「学習」するだけでなく「学問」をして欲しいということです。
ここでいう「学問」とは、
「史実」を単純に知識として吸収するだけでなく
「なぜ」その様な出来事が起きたのか、
時代の流れから何かを決断した(と史実に残る)為政者の心情、
また、当時の大多数を占める「権力を持たざる人々」の心情などに、
自ら思いを馳せていくことを指します。
この様に「歴史」を眺め始めると、
「歴史上の失敗」が必ずしも「政治の普遍的な失敗例」
ではなさそうだと気づいてきます。
当時やってダメだったことは今やってもダメだろう。
それは大きな間違いで、当時の時代背景と現代の状況や社会性は
変化しているわけですから、昔の失敗例も「未来への選択肢」
としては利用しうるわけですね。
当然ながら逆も然りですが・・・。
この様に、「過去」を学び「未来」へ繋ぐ架け橋となる科目が
社会ではないかと思います。
もっとコアな世界に入っていくならば「史実」が
事実かすらも疑うことができますね。
その場合は、事実が如何なるものであったか、
誰が何を目的としてその「史実」を
生み出さなければならなかったのか、
時代に埋もれた「動機」を辿っていくミステリーツアーを
楽しむことができるでしょう。
史実資料は基本的に「人」に見せることを前提として作られており、
史実の編纂者が「誰に」対して「どう」見られたかったか
伺い知ることができ、それを知る事で
当時の背景の新しい見地を切り拓くことができるはずです。
少々長くなってしまったので2つ目については
次回の記事でお送りしたいと思います。
本日のまとめ:
「歴史」の成功例や失敗例を「未来の想像」へ活用できる
「過去の失敗例」が必ずしも普遍的失敗例では無い
「歴史」を学問していくと非常に楽しい
来週は、歴史を学ぶ意義の2つ目に入ります。
それでは今日も良い1日を!
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